花まつり

4月8日はお釈迦さまの誕生日です。お釈迦さまは今から2500年ほどの昔、ヒマラヤ山脈の南のふもとにある釈迦国の王子として生まれました。お釈迦さまは誕生後、7歩歩いて天と地を指し、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)といわれたと伝えられています。釈迦国の王様である父シュッドーダナと母マーヤさまは、生まれてきた王子を「シッダールタ」と名付け、大切に育てられました。

花祭り  花御堂

更新日:2016.04.08

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愚の上にまた愚にかえる

「春立つや 愚の上に又 愚にかえる」

この句は俳人小林一茶(1763~1828)が還暦を迎えた春(文政6年/1823)に詠んだものです。一茶は晩年、当山中興 徳本行者の念仏の教えに感化を受けました。そして、宗祖法然上人の「愚痴にかえりて極楽に生まる」の教えを噛みしめ、本卦還(ほんけがえ)りである還暦に、おのれの境涯をかえりみ、あらためて愚に還ろうと原点回帰しようとしたのです。

浄土宗では、21世紀に当たり以下の宣言を発しました。 「愚者の自覚を 家庭にみ仏の光を 社会に慈しみを 世界に共生を」

あんずの花

徳本廟前 アンズの花

更新日:2016.03.15

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春彼岸

春のお彼岸を迎えます。ご先祖から受け継がれてきた命。いま生き、生かされていることに感謝の気持ちを持ち墓参いたしましょう。

彼岸入 17日(木) 彼岸明 23日(水)

彼岸中日法要 3月20日(日) 午後1時30分より

山門  境内敷石

更新日:2016.03.09

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立春を迎えました

さへられぬ 光もあるを おしなべて 隔て顔なる 朝霞かな (法然上人御作)

上記は東大寺指図堂(さしずどう)のご詠歌で、春の御詠歌としても知られています。阿弥陀さまの慈悲の御光はすべての人を隔てなく救い取ってくださいます。しかし、朝霞が春の光を隔てるように、疑いや迷いの心が慈悲の御光を隔ててしまいます。ただ一心にお念仏を称え、阿弥陀さまの慈悲の御光をありがたく頂戴したいものです。

水仙

境内に咲く水仙

更新日:2016.02.04

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明けましておめでとうございます

「新春の 御慶めでたく 称うれば 阿弥陀仏仏 無量の福寿」徳本上人

皆さまのご多幸を祈念申し上げます。

阿弥陀(正月)

更新日:2016.01.01

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本堂大掃除

師走を迎え、神社仏閣で大掃除 (すす払い) をしている様子が報道されています。当山では本年、仏具専門の職人さんに、普段は手の届かない細部の清掃をお願い致しました。職人さんが一つ一つ丁寧に手作業で清掃してくれています。

修 正 会 (しゅしょうえ) のご案内 平成28年1月6日(水) 14時~ 新しき年の初めにお寺のご本尊に手を合わせましょう。              (どなたでもご参加いただけます。参加ご希望の方は事前にご一報ください。)

大掃除

 

更新日:2015.12.14

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一行院のご本尊

一行院の本堂に安置されている阿弥陀さまは、神奈川県横浜市戸塚区の「光安寺」より戦後お迎えしたものです。一行院は太平洋戦争中 昭和20年5月25日の空襲で、堂宇すべてが消失してしまいました。ご縁をいただき、光安寺の末寺であった*光照院のご本尊であったものが遷座されました。お座りになり瞑想をされているお顔は穏やかで、ながく檀信徒の心の拠り所となっております。

本尊

*光照院 相州鎌倉郡永谷郷中村(現・神奈川県港南区下永谷) 開創 元和8年(1622) 開山 雄誉霊厳上人 北條氏直(1562~1592)時代の戦死者慰霊のために建てられた寺で、昭和27年光安寺に合併し廃寺となる。

 

更新日:2015.11.02

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仏の十八願

「末法思想」が流行した平安末期、念仏さえ称えればすべての人が救われると説かれた浄土教の教えは、法然、親鸞、一遍などを中心に爆発的に広がりました。その教えは、より所とする経典 『無量寿経』 『阿弥陀経』 『観無量寿経』に示されています。 『無量寿経』には、阿弥陀仏がすべての人を救いたいという願い、48(四十八願/しじゅうはちがん)の誓いを立て、そのすべてを成就して西方極楽浄土の教主となられたと説かれています。

なかでも、18番目(十八願/じゅうはちがん)が重要で、その願は「すべての人が私(阿弥陀仏)を心から信じ、極楽浄土に生まれたいと願って、わが名を十遍(南無阿弥陀仏)称えるならば、すべての者を必ず救い取る」というものです。 この18願こそが、浄土教のもっとも大切な絶対救済の教えであり、各祖師方が庶民救済のために勧めた念仏の教えです。 ※南無とは帰依すること。南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に帰依することです。(阿弥陀さま私をお救い下さいということ)

仏教の教えが定着した日本では、48(相撲の勝手/四十八手)や18という数が生活の中に取り入れられ、得意な芸(十八番/おはこ)や、歌舞伎の十八番、スポーツ選手の背番号などに使われたのではないかと私は考えています。

阿弥陀さま

更新日:2015.10.15

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徳本上人御命日

本日は当山中興開山「徳本上人」の198回忌の御命日にあたります。ご上人は文政元年(1818)10月6日、この地で往生を遂げられました。徳本上人の書かれる「南無阿弥陀仏」のお名号は独特の字体で今日でも石に刻まれ各地に散見されます。それに付された花押は鬼という字がもとになり、心の鬼を退治するというお心持をお歌にあらわしております。  ※花押(かおう) 自分が書いたものであることを証明する記号

「鬼ころす 心は丸き田のうちに 南無阿弥陀仏の 月はでにけり」 徳本上人

 

徳本上人掛軸  徳本花押

 

更新日:2015.10.06

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北斎の画いた高僧

浮世絵師「葛飾北斎」は寶暦10年(1760)9月23日、江戸本所(現在の墨田区)に生まれました。北斎は『富嶽三十六景』を画いたことで有名ですが、文化11年(1814)にもう一つの代表作『北斎漫画』の初編を発刊しています。江戸庶民の生活ぶりなどを細かく画いた漫画の中に、1人の高僧が画かれています。高座に座り、誌公帽子(しこうもうす)をかぶられ、頬骨がとても張った僧に、2人の僧がひれ伏す姿が画かれています。当山の中興「徳本上人」(1758~1818)が初めて江戸に来られたのは享和3年(1803)のこと、江戸滞留の際は小石川伝通院におられました。北斎の画に僧名などの記載はありませんので推測に過ぎませんが、礫川(れきせん/現在の小石川)の地から富士山を画く合間に伝通院を尋ね、目にした光景ではないかと密かな期待をしております。

嘉永2年(1849)4月18日、北斎は90歳の生涯を閉じ、浅草「誓教寺」に葬られています。  法名 南牕院奇誉北斎居士

北斎漫画

更新日:2015.08.21

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