本堂「扁額」

扁額(へんがく)は建物の高い位置に寺社の名前などを掛けるもので、一行院本堂には「一行三昧院」(いちぎょうざんまいいん)と掲げられています。これは当山中興の徳本上人がお念仏一行に打ち込み、宗教的な三昧の境地に到られたことに由来します。

題字は総本山知恩院 第83信宏(きししんこう1889~1979) 御門主の染筆によるもので、板材は元檀家総代 相澤 善三郎氏の寄進によるものです。

008

更新日:2016.09.09

« 前に戻る | 過去の記事へ »

『御宿かわせみ』

平岩弓枝の時代小説『御宿かわせみ』は、江戸時代末期 大川端の旅籠「かわせみ」のまわりに様々な事件がまき起こる人情捕物帳です。 さてその一説に・・・

一橋家御用の「大和屋」が商っているものは女の化粧道具であった。神林東吾(かみばやしとうご)が同朋町に行ってみると、大和屋はえらい騒ぎになっていた。「おたかさんの死体が一行院の墓地で見つかったそうで…」大和屋主人の惣右衛門が駕籠でかけつけて行くところだという。その駕籠について、東吾がまっしぐらに小石川へ向かった。着いてみてわかったことだが、一行院というのは一橋家の下屋敷の隣にある寺で、大和屋の娘おたかが姿をくらました白山権現からさして遠くない。  平岩弓枝著 『御宿かわせみ』15 「恋文心中」より

古地図  古地図(拡大)

安政6年(1859)の古地図から    徳川御三卿、一橋家に隣接した殺人現場「一行イン」、地図上方に「御薬園」(現小石川植物園)、左方に「白山ゴンゲン」が載っています

 

更新日:2016.08.14

« 前に戻る | 過去の記事へ »

一行院坂

暑中お見舞い申し上げます

今は昔、一行院の山門にいたる坂は地域の方々が使う私道で、「一行院坂」と呼ばれていました。戦前までの山門は現在の駐車場の入口にあり、門番の方が住んでいたそうです。明治10年(1877)東京府に提出された、当時の住職が描いた境内図に往時がしのばれます。

一行院坂  一行院山門  境内図

更新日:2016.08.07

« 前に戻る | 過去の記事へ »

絵はがき大賞

文京建築会主催、第6回「文京・見どころ絵はがき大賞」が開かれました。文京区内の思い思いの風景を画いた応募作の中に、隣接する明化小学校の生徒さんが一行院を画いてくださった作品がたくさんありました。お寺のある風景が子供達の日常となっていることに、うれしさを覚えました。明化小学校の皆さん、どうもありがとう。

千石  絵はがき1  絵はがき2  絵はがき3

 

 

絵はがき4 絵はがき5 絵はがき6 絵はがき7

更新日:2016.07.14

« 前に戻る | 過去の記事へ »

墓前の供花

御命日、その方のお墓にはたくさんの花がお供えされていました。故人を偲びお浄土で安らかなることを願うばかりではなく、その方が残した思い出と縁を紡いでいくことも私たちの大切なご供養です。墓前の供花は、静かにそれを教えてくれます。

大垣家  髙橋家

更新日:2016.06.27

« 前に戻る | 過去の記事へ »

施餓鬼会勤修

6月6日、施餓鬼会(せがきえ)を勤修いたしました。施餓鬼会は誰からも供養してもらえない餓鬼を供養する法会です。さまざまなお供物をお供えし、大勢のお檀家の皆様と共にお念仏をおとなえ致しました。また、前橋「大蓮寺」ご住職 蓮池光洋上人の心あたたまるご法話を拝聴致しました。

その功徳により、御先祖代々の霊位をご供養し、そして、我々も阿弥陀さまの尊いお導きを頂だいし、日々より良く過ごさせていただけるのです。

施餓鬼(H28)

更新日:2016.06.06

« 前に戻る | 過去の記事へ »

増上寺団体参拝

5月21日(土) 五月晴れの大本山増上寺に、一行院檀信徒52名と参拝いたしました。増上寺第88世大僧正よりお十念をご授与いただき、境内「徳川家御廟」「宝物展」「三解脱門」などを拝見し、有意義な一日となりました。

増上寺団参

更新日:2016.05.22

« 前に戻る | 過去の記事へ »

本堂「前机」の修復

昭和30年 お檀家様よりご寄附いただいた前机(まえづくえ)、塔婆立てを修復いたしました。黒漆と金箔の鮮やかな仏具が、本堂の荘厳さを一層高めたようです。

前机(旧)  前机  修復後

 

  

 

更新日:2016.05.12

« 前に戻る | 過去の記事へ »

境内の庚申塔

境内、徳本廟の後ろに「庚申塔」(こうしんとう)があります。庚申信仰は中国道教の思想から生まれたもので、日本では江戸前期に庶民のなかで広まりました。当山の碑は、享保2年丁酉(ひのととり/1717) 徳川8代将軍吉宗公の時代に建てられたものです。中央に青面金剛(しょうめんこんごう)像、下部には従者として三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)が描かれています。なぜ当山に安置されたかは不明ですが、御祈祷施主「松村市三郎」他願主たちの名前が刻まれています。さて、本年は丙申(ひのえさる)の年、次回庚申(かのえさる)の年は2040年です。どんな世の中になっているのでしょうか・・・

庚申塔(背景)  庚申塔

更新日:2016.04.27

« 前に戻る | 過去の記事へ »

小さき人

明治の頃、菫(すみれ)の小さく可憐な花は、人々のあこがれや理想のシンボルとして愛でられました。夏目漱石は「菫ほどな小さき人に生まれたし」、正岡子規は「日一日菫の花に遊びけり」「美の神の抱きあふて居る菫かな」と詠まれています。一行院の境内にも可愛いらしい来客がありました。

すみれ

更新日:2016.04.15

« 前に戻る | 過去の記事へ »